
My photo history
私の両親は私が物心ついたときには不仲で
中学生のときに離婚しました。
小さい頃の写真はありましたが、
歳を重ねるにつれて
家族写真も、私の写真も減っていき
9歳のころには家のアルバムは更新されなくなりました。
母親に引き取られ
母親も専業主婦からパートへ。
忙しく、余裕もなくなり
しんどそうな姿は今でも覚えています。
誰にも打ち明けたことはありませんでしたが
「私がいなければよかった」
「両親に愛されていなかった」
そう幼心で思うこともありました。
わたしも大きくなって
帰省時に時々実家に忘れていく写真や
成人式に友人と撮った時の写真
縁あって新聞や雑誌にのった時の写真など
母だけになった実家に残る私の勉強机には
私の写真がたくさん挟まれています。
大事なことは口にしない母ですが
片親になってからも
七五三に撮った大きな写真は
母と暮らした小さな部屋にずっと飾られていて
9歳から進まなくなったアルバムも
綺麗にいつも見えるところに置かれています。
今ならずっと大切にされていたことがわかる。
写真って本当に大切な思いの一つなんだと
気づきました。
自分にとっても、
大事に思ってくれる相手にとっても。
『自分たちで撮れるから』
カメラを持っている人はどう映りますか。
『目に焼き付けておく』
本当にその瞬間は記憶に鮮明に焼きつくのでしょうか。
今その瞬間、カメラ越しじゃなく
あなたの目でしっかり感じて、
あなたの目の代わりに
その一瞬をおさめる
お手伝いができればと思います。
写るのが苦手だと今思っていても、
きっと残してよかった、残して欲しかった、
そう感じる時が誰しも訪れると思っています。
何かあったとき、生きた証拠になるのは
今撮ったこの一枚かもしれません。
今、この瞬間は今しかない。
時間だけはみな平等で、
いくら願っても戻ることはありません。
大事な思い出、何気ない思い出、
ふと思い出す記憶の引き出しに。
自分のために
大切な人たちのために
鮮やかな今をのこしておきませんか。